映画ちいかわで菜食主義の切なさを感じた

映画ちいかわを二子玉川の映画館で観てきた. 映画館は5年ぶり、鬼滅の刃以来. 1

ネタバレ動画をみすぎて感動がイマイチ

世間で話題だったので気になってはいたが、9月のテーマが行動活性化療法なので、とりあえず迷っていたらスケジュールを入れてしまったというのが5年ぶりの一人ぼっちおっさんのちいかわ鑑賞の理由.

ちいかわ自体の事前知識はほぼなかったが、世間で話題だったのでYoutubeで考察動画を2時間くらいきいていてネタバレ状態で観た結果、衝撃はそこまでなかったのは残念だ. ハム太郎のノリでの初見ならばギャップに驚いていたはずだが、ハム太郎ならばわざわざ見に行かない.

中途半端な予習の結果、ちいかわとその友達2人のうち、友達2人が人魚の肉を食べて友情が泥沼化して崩壊するバッドエンドを途中まで期待していた. 実際に肉を食べたのは映画だけのオリジナルキャラクター.

セイレーンときくと、ちょうど2ヶ月前に調べものをしていたセルフバインディング、オデュッセウスの契約を思い出した. そしてクリストファー・ノーランのオデュッセウスが世界では上映中だかまさかノーランは極東の日本で同時上映のちいかわに負けるとは思わなかったはず.

生きとしいける友達を食べないと生きていけない

具体的なわたしの感想だが、これは菜食主義の悲しさの物語と読んだ.

わたしがこの1年でもっとも心が変わった坐禅ではなく、毎晩食事前に唱える五観の偈だった. 生きとしいけるものが幸せでありますように、お命いただきますとしていた. また、5年前からのヴィーガン、今はなんちゃってオクト・ラボベジタリアン、外食では肉を食べる.

たまたま銭湯で生きた魚を熱々の油に放り込んでいるはしゃいでいるテレビ番組をみて、なんてグロテスクなものをお茶の間に放映しているんだろうかという感受性にこの1年でかわってしまったのは、間違いなく慈悲瞑想や食事五観の偈の影響だ. 生きとし生けるものを煮えたぎった油に放り込むとか心が苦しくなる. じゃあスーパーで見えないところでよろしく処理されていればいいのかということになる.

血液検査の結果、自分には鉄分が圧倒的に不足していることがわかった。肝臓に溜まるフェリチンは数年かけて貯蔵が少なくなっていく. ヴィーガン初期は貯蔵があるが、数年かけてジワジワと鉄がなくなっていく. その結果、謎の身体のだるさや頭の重さ.

その結果、5年ぶりに自らスーパーで赤み肉の代表であるレバーを買い、自宅で包丁で切り刻んで、赤い血でまな板を濡らした. とても苦々しい気分になった. しかし、これをしないと自分は生きていけないんだ.

「いーつまでもたえることなくー、ともだちでいよう」というマントラは、わたしは「サッベーサッタースキターホーントゥー」と読み変えた. それをBGMにして肉を切り刻み、その汁をすする切なさがある. 電池がなくなっていくように肝臓の貯蓄鉄はなくなっていく.

カーボンベースのホモサピエンスはレガシーシステム

AI時代の新しい生命またはトランスヒューマニズムの物語とも読み替えることもできる. ホモサピエンスは地球の歴史ではればカーボンベースのレガシーな生命システムであり、これからはシリコンベースの生命体の時代だ. 2025年というのは、魚が陸上日上陸したような地球史の転換点だ.

ホモサピエンスは完全シリコンベースの生命体に駆逐されるか、または融合していくだろう. ちいかわワールドはもしかしたらこれから数100年後のシリコンベースのカンブリア爆発の話しだ. 2人がシリコンベースだから悲劇になるが、みんなが人魚の肉を喰らえばいい話だ. みんなでお寿司屋でマグロを食べればハッピーエンド.